ドルメロの魔術師

エドワード・スピノーラ (本書英文訳者)

国際的な名声を持ったホースマンが彼の経験の結論を著書にすることを好んだり、またはその才能を持っていたりすることはあまり無いことである。彼ら名人が何かをすれば、他のホースマンは彼の考えを学ぶ事で、より物事を知ることができる。経験は容易に得られるものではないし、他の人が苦心して完成した基礎をもとにしてスタートせず、全くのゼロからスタートするとなれば、多くの年月と困難という代償を支払わなければならない。
サラブレッドの研究はこの目的に全力を注いだ彼の結果と、彼が生涯を費やして馬の生産に関わり、素晴らしい成功を収めた結果が明らかになっている。このような点で、この本は注目と尊敬に値する。

フェデリコ・テシオ　(Federico Tesio)という名について、わざわざ紹介する必要は無いだろう。北イタリアの美しいマジョーレ (Maggiore)湖畔のドルメロ (Dormello)にある彼の牧場において育成された馬はイングランドからインドまで、アルゼンチンからオーストラリアまで、アメリカらソ連にいたるまで、サラブレッドに魅せられたほとんど全ての国で名声を博したからだ。彼の馬は競馬界において、生産界において、抜きん出ていた。

だが、読者の立場に立つと、フェデリコ･テシオが控えめな人であったことは少し残念だった。彼の著書は読者にその経験と結論をもたらすが、これによって得た素晴らしい成功についてほとんど書かれていない。これらの成功からもまた何かが学び得られるとの信念のもとに、著者フェデリコ･テシオについていささか語ることにする。

馬に対するフェデリコ･テシオの情熱は幼年時代から始まった。そして青年時代にはスリルと冒険を求めて世界中を旅して回った。だが彼は「常に馬が生活の中心であるところ」を旅した。南米では馬上の旅を続け、現地人からは友人として遇せられ、パタゴニアの内部を探検した。
彼が友人扱いされたのは、ホースマン同士の友愛関係は国や文化を問わないものだからだ。彼はパンパスのガウチョ(南米のカウボーイでヨーロッパ人とネイティブアメリカンとの混血児)とともに野生の馬を馴致した経験があり、ヨーロッパの競馬場で障害競走に紳士騎手として騎乗した経験があったのだ。

幸運にも大きな怪我もせず、馬について広い経験を得た初期段階を経てから彼は生産に着手しようと決心した。そして１８９８年に彼はドルメロで牧場を始めた。ここで５０年間にわたってサラブレッド種改良のためにこれまでの誰にも劣らなぬほど数多くの成果を出した。

１９４９年にドルメロを訪問しようとして私が旅に出たとき、その場所が地図にも載っていないことを発見し、驚かされた。私は馬の愛好者として、少なくともローマやミラノと同じように大きく載っていることを期待したのだ。
だが、私は道のりに苦労はしなかった。というのは、通りすがりの人にただテシオの名前を出しさえすれば方角を教えてもらえたからだ。彼らはメッカへの道のりを尋ねられたイスラム教徒のごとく、いささか驚くほどの丁寧さで道を教えてくれるのだ。

私がその場所に到着したとき、目に映ったものは期待していたものとは全て違っていた。白く柵のパドックに囲まれた印象的な厩舎などは無かった。油断無く見張られているよう立派な門構えも無かった。馬さえいなかった。その非常に美しい背景が無ければ、ごくありふれたイタリアの別荘風の家があるだけだった。周囲には公園のようにたくさんの樹木や花があり、マジョーレ湖畔からイゾラ・ボルローメオまでの眺めはまるでおとぎ話のよう、としか言いようがなかった。

この家から湖の水際まで芝が植えてあるものだと最初は思っていた。だが、木々の間からよく見ると、それは満１歳馬の小集団が楽しげに草をはむパドックだったのだ。ここの柵は素朴で、周囲にうまく溶け込んでいて、庭園の延長上に見えたのだ。また満１歳の若駒はあたかも英国の猟園に住む鹿のようにすっかり風景の一部分となっていた。

家ではフェデリコ･テシオと彼の美しい夫人がヨーロッパ風の丁重さで私に挨拶して迎えてくれた。お茶のあとで彼にドルメロを案内してもらった。その当時、彼は８０歳代になっていたが、彼がこの牧場に全てを作り上げたのだ。隅々まで案内してくれたばかりではなく、ミラノまで下って彼の所有厩舎まで案内してくれた。これはテシオのお客をもてなす方法であり、彼の若々しい情熱がそうさせるのだろう。孫ほど年の離れた私をまるで王族の訪問者のように扱ってくれた。

ドルメロは私の予想通り１つの牧場ではなくて、湖を見渡すいくつかの丘のあちこちに隠れて存在する。いくつかの小さい放牧場、すなわち'poderi' (イタリア語で牧場の意。Podereが単数型)である。その各々に厩舎とパドックがある。住まいに接してたくさんの樹木に隠れているところに１つの厩舎がある。
ここで私はテネラニ (Tenerani)を見た。この若い種牡馬はちょうど種牡馬として初めてのシーズンを終えたばかりのところで、英国へ輸出されるため間もなく出発することになっていた。テネラニはイタリアダービーに加え、英国ではクインエリザベス２世ステークスとグッドウッドカップを含めた堂々たる成績を残した馬だ。

ほかの何ヶ所かの小さい放牧場には繁殖牝馬、満１歳牡馬、満１歳牝馬などをひとつのグループにして分けて収容されていた。こうすることの利点は、病気が発生したときにそれが全放牧地に及ぶ前に発生源のみ隔離することができる点だ、とテシオは私に指摘した。また、高度の違ったあちこちの丘に広がっている異なった牧草地は馬が草を食べるのに、より広い選択とより長い期間を確保できる。

この牧場の基調は「自然が最良のものを知っている」という事ではないだろうか。まず牧草地は自然の草地であった。それはテシオは灌漑(かんがい)を草の成長は促進されるが、強さを奪う、として信用しなかったからだ。さらに馬の本能である「冬季には南方へ移動する」という性質を満足させるために、毎年秋になると乳離れした０歳馬を気候のより暖かいローマ近郊の友人のインチーザ公爵のところへ送っていた。

そして彼の馬はたくさんの自由と運動と良い青草に恵まれ、テシオの注意深い監視下で、自然が予定したとおりに成長した。
テシオは「離乳した０歳馬は明日の競走馬である」、そして「調教は素質を伸ばしていくことはできるが、それを新しく創り上げることはできない」ということを知っていた。
だから馬を見て回るときには、各馬についていつも「運動の具合はどうか」といつも1つの同じ質問をしていた。そこで幼駒が本当に喜んでいかにも競走馬らしくのびのびと走っているときテシオは満足した。テシオは運動が活発ではない馬やぎこちない馬を心配した。
なぜならいかなる調教師であっても、たとえテシオであっても血統だけではレースに勝つことはできないからだ。

馬の発育、および調教の各段階において馬を注意深く監督するということがテシオの成功の重要な要素であった。

後編へ続く･･･